グレーゾーンは、そのままで。

アロマセラピストの割に、精油ではなく自分と向き合う記事が続きますが、

ご興味ありましたら、お付き合い下さいませ〜


さてさて。

前回の記事、理解しようとするのをやめるだけ に



理解しようと頭を働かせようとしながら読むのではなく、
ただ、感ずるままに、
言葉に出来ない時はそのままに、

消化出来ない時はそのままに、

ただ、今の私が読んでどう感じるか。

シンプルにそれだけでいい、

分からなかった、なら分からなかった、それでいい。



こんな風に書いたのですが、

そんな風に読書を楽しめるようになって出会った本、

養老孟司さんとC.W ニコルさんの対談をまとめた


<「身体」を忘れた日本人 >


この本の第6章「暗いところがなくなった」を読んだことで、

知らないことを知る、

ということの本質的な部分に触れられたような気がしました。



何が書かれていたのか、要約しますと、


・わからないことがあることを、留保しておかないと謙虚にならない。

(=学問をするということは、自分はものが知らないという前提)


・現代人は「説明されればわかる」という人たちが多いけれど、

 自然に接していればその考えは消える。

 でもそういう人たちは自然、危険と隣り合わせのところには

 行かない。

(=世界が狭くなる)



ざっくり過ぎてごめんなさい。

本文はこちらの書籍をご確認下さいm(_ _)m

個人的に、現代人がこれからを生きるために、

必要なエッセンスが詰まってるかなと感じました!


それでなんですが、

初めてこの章を読んだ時は、わぁ、なるほど!

私の思っていたことのもっと深い本質的なことは

これだったのだと感動していたのですが、

(分からないことがあっていいんだ!とよろこぶほど。汗)


何度も読んで反芻するうちに


あぁ、

私は分かりたい、と願うばかりに


“ものを知らない”自分の状態を棚に上げて、

分からないならトライしないなんて、

なんて傲慢だったのだろうと

穴があったら入りたい。。


という気持ちに変わりました。涙



(そう思ったらコンプレックスなんて、

 傲慢なものなのかしら、

 そんな風に思ったり。)




ただ、

ここで気をつけたいのは、

自分がものを知らないと知っていると自覚することとと、

自分はものも知らないやつだと自己否定することは、

全くの別物なのだとも思いました。



世の中の、謙虚でいるということと、

養老先生のいう謙虚はどこか違う。



自分にピントのあった謙虚さと、

他人にピントのあった謙虚さ。



どこが起点の謙虚さなのかで、


内側から出る学びの意欲のための、もっと知りたい、なのか

外側のためのもっと頑張らなくちゃの、もっと知らなきゃ、なのか。



学ぶ姿勢すら変わってしまうような気がしました。

それから、謙虚さ以外の部分で、


以下意訳ですが、

自分には分からない世界があるのにそれを自覚せず、

全て明白にする、させようという考え方は

(自分の理解できる範疇に物事をおさめない)

結果的に自分の世界を狭めてしまう、

という意見をされていて、



ふとこれに似ている考えを、

他にもおっしゃっている方がいるなぁと

思い出しました。



とある女性起業家の方は、

“グレーのまま置いておけることが自分の器を広げる”


NYで成功されている数多くの方と親交のある方は、

“白黒させない賢さは人生を切り開く”


と。



第一線を走ったり、

そういう人を多く知っている方の

考え方には共通する部分がたくさんあると

常々思っていたのですが、


まさか養老先生と女性ビジネスの考え方に、

共通するものがあったとは少し驚きもあったのですが


(もちろん養老先生はもっと根源的な生き方、姿勢への言及ですので、

 2人の女性とは出発点も着地点も全く別物ではありますが。)



割と、武士っぽいと言われてしまう私は

自分を省みるのでありました😂




確かに、自分には分からないものがある、

分かり得ないものがある、

分かり合えない人もいる、

今の私のレベルでははかれないものがる。


そのグレーさを抱えるのは、

時として辛さを抱えることかもしれませんが、

想定外を受け入れることが

自分の可能性を広げることというのは、

最近になって実感することでもあります。





グレーゾーンは、そのままで。

今後の人生を生きていく上で、大切な考え方になりそうです。