理解しようとするのをやめるだけ。

何か物事を理解しようとするのをやめたら、

たくさんの感動に出会えるようになりました。

そう思えるきっかけは“読書”でした。



もともと、読書は苦手な私。

分厚い本や専門書はチラッと見るだけで「文字がいっぱい😥」

萎えてしまうタイプです。

それでも、憧れている方々の多くは本の虫が多い。。


そして、家族にも本の虫がいますが、

持っている知識量が多いんですよね。



知っていることとが多いとか、

自分の出来ないことが出来るとか、

=優れている


ことにしてしまって、

だから本を読めない私 =情けない、知識ない =劣っている

という公式を作り出して、


「ちゃんとした本(分厚い、小さな文字)でなければ、本ではない。」

という設定まで作り出し、


軽い読み物は読んでいたのに、

それは本ではない!!

したがって私は本好きでもなければ、

分厚い本を読み通す根性のない人間だ、


と随分長い間ひねくれてました。笑

だけれども、そういう思いを持っていると苦しくて。

興味のある本でも読み切れる自信がなくて、

もはや苦行以外の何物でもない。


でも、やっぱりそんな苦しみと関係なく本を読んでみたくて。

(だって自分の知らない知恵がたくさん!)


なんでそんなに苦しいのかなと思ったら、


「本を読む=100%内容を理解しなければならない」


という裏設定が明らかに!笑



自分の知らないことを知ろうとするのに、

体験したことないことを知ろうとするのに、

体験できるかも分からないのに、

100%理解するなんて、困難に近い。笑


そのことに気が付いた途端、


理解しようと頭を働かせようとしながら読むのではなく、

ただ、感ずるままに、

言葉に出来ない時はそのままに、

消化出来ない時はそのままに、

ただ、今の私が読んでどう感じるか、

シンプルにそれだけでいい、

というところにたどり着きました。


分からなかったなら、分からなかった、それだけでいい。



そう思ったら肩の力が抜けて

“妖怪・読書怖い”はいなくなりました笑


今ではすっかり、読書を楽しんでいます。


というよりも、

やっぱり分からなかったり、途中で読めなくなったりしても

それでいいと諦めて、笑

読書に対して主体的になったんだと思います。


だから、心のむくまま楽しめるようになりました。

これ、読書以外のことにも通じると思うんです。



それを応用して気が付いたのが、

子どもの頃の習い事や部活。



常に、誰かと比較しては、優れた人が必ずいる。

そうすると、

好きだと思って始めたことがいつのまにか、



“私はそれをやる、語るに当たらない人間だ”



としてしまって、

だんだんと苦しくなっていくんですよね。



だから、私はそれらを、誰かに比べたら好きじゃない、うまくない、

そんなこと言ってはいけないと

無意識のうちに制していました。



だけれども、

読書に対して“理解せずとも心の感ずるままでいい”とOKを出したことで、

それじゃあ、“それら”を私も楽しんでいいのではないか、

好きと言っていいのではないか。




パフォーマーが行なっている難しい技術を言葉で解説できなくても、

それが出来ない自分であっても、

理解できないものであっても、

ただ、すごいと感じる心を解放する。

それくらい、認めたっていいんじゃないか。



小さな、閉じ込めていた想いが、

むくむくと大きくなり始めました。



閉じ込めていた、わたしのキモチ。

誰かに笑われる、

呆れられる、

出来ない自分を劣っていると思う、否定する。



それを、やめると決めました。

そして、心を自由にして、感じるままにいる、と決めました。


そして出会った、この音楽。

音色に心奪われることが、

どれほど豊かなことか。


それが何である、どんなものであるか、関係なく、

ただ心を揺り動かされる。

私の心が、あるがままに、自由に躍動する。



それが、どれほど幸福であるか。

それに、気が付けてよかったなと思います。



優等生気質の人ほど陥りやすい状況ではないかなぁ?

心をほどいて、いきたいですね!