制限の中で生まれる無限

最近「制限」ということ、

もう少し言うと「制限を取り払う」ことについて考えることが多くて。



この2月3月は、今までの人生を振り返り、自分を見つめ、

今後の人生をどう創っていくかということに

多くの時間を割きました。



その中で、いかに今まで多くの「思い込み」が自分を「制限」し、

自分の生き方や考え方を窮屈なものにして、

時に他人までも制限しようとして人間関係でも葛藤が生まれるということが

よく分かって、

(社会的常識やしつけ、それに基づく経験によって形成された自我意識の一つかなぁ)




「思い込み」の枠の外に出て、

その上で自分はどう在りたいか、制限かけていくことをやめて、

そんな心持ちで1日1日を積み重ねていこうと決めたんです。



そうしたら、だいぶ心持ちが違ってきて

毎日が楽しく(ウキウキとかじゃなくて静かな愉しみとでもいうのでしょうか)

過ごせるようになって。


制限を外していくことは人生を楽しく過ごすポイントかも。

そんな風に思い始めたのです。



で、です。



歌舞伎のことが大好きなのですが、ある種の「制限」だらけの世界だなと。

俳優さんたちは己の表現の自由をある種「縛られて」いて、

俳優としてもっと「自由」にやりたくないのかな?

とか。

今更ながら(歌舞伎ファン歴10年ちょっと)で思い始めた訳です。笑



でも、自由すぎたら成立しない世界であることも

ファンであるからこそ存分に分かっていて。



制限を外したいという自分の願望と、

恐れ多くも歌舞伎の世界を照らし合わせてみた結果、

疑問を抱えたまま観劇することになったのです。

それで観ていて気が付いたことがありました。


歌舞伎に限ったことではなく伝統として残っている一番オーソドックスな世界は、

決めたれたパターン、型というものが存在します。




大伯母が表千家の教授なのですが、

「難しいように感じる手順も、実は最も簡略化されたものになっている。

 お手前は全て理にかなった、シンプルな動き。これ以上は削ぎ落とせないのよ。」


とよく言うのです。

(表は一番古いので、そのあと続いていく他の流派はどうしてもアレンジしていく

 ことになるので、他の流派はちょっと分からないのですが)



それで、七之助丈も以前インタビューで

「一見不自然に思える型でも、日常の中でやってみたらその動きになった。

 実はとても理にかなっている。(一言一句は覚えておらすニュアンスです〜)」


と言っていて。



自分以外の誰かのために振る舞うもの。

一番削ぎ落としたものが、

一番伝わりやすく(これ見よがしでなく)、理にかない、美しい。



そしてあとを追う者が覚えやすい。

何かを残していく、それも後世へ残していくとなると

やっぱりどうしても型やパターン化していくことって必須になると思うのです。



でも、

その型を自分がやりたい!という

心から湧き上がる思いがあれば、

それって「制限」でもなんでもなくっていくというか、

むしろ進んで「制限」をかけていくというか。



(歌舞伎俳優さんのドキュメンタリーを見ていると

 子どもちゃんたちの歌舞伎に対する憧れがすごく伝わります。)


(あとは先輩俳優さんの指導を仰ぐ姿とか見てると

 そうなりたい、あんな風に演じたいという想いが伝わります。)




で、ハッと気が付いたのが、

その同じ「制限」をかけた世界であっても

全く同じように出来上がることってないんですよね。



俳優さんによって全然違う。

同じ動きなのに違う、

感じるものが違う、

印象が違う、

受け取り方が違う、

受け取り手によっても違う、


制限から始まる無限さ、果てしなさ。



それで、ある方の言葉を思い出したんです。



「無限と無制限は、違う。」



あぁ、そういうことかぁと納得しました。



進んでなりたい「在り方」になることは、

ある種のそうなるための制限をかけることで、

私の思い込みの枠を外したいというのも、

「人生楽しく過ごしていきたい」という制限をかけるものだったんだと。



制限をかけることで構築される世界(伝統)の魅力。

だから対局にあるように感じる無限の可能性(現代アートなど)の魅力。

正反対のようで表裏一体だから。



でも無制限であることって

とっても中途半端になる。

どちらにもなれない。




だからこそ、

望むものをはっきりさせればさせるほど、

望まないものに対しても敏感になって、

その上で望むものが浮き彫りになって、

そうなるように、行動していく。



なんでもあり、

ではなくて、

なんでも良いけれど、どうするのか。



どんな私(あなた)でもいいという無限の可能性は、

私(あなた)である瞬間からすでに制限されているしね。



その制限にがっかりすることもありますが、

しょうがない、

私に生まれたんだから。笑

制限を受け入れた時から、無限への扉が開くのかもしれない。




つまりどんな制限をかけていくのか、

今この瞬間から選んでいけるという無限さ。





桜だって花びらの形も色もなんでもありです、無制限です、

なんていって

1つの木からいろんな形の花びらや色で存在していたら

それはもう桜では、ない。


このあたりのことは前回の記事

今日やりたいことは?ミュージカル音楽からたどり着いた自分の人生を創るという意識

で取上げたパセク&ポールがリンク先の記事で面白い事を言っています。



バカとハサミは使いよう、じゃないけれど。

制限というものを認識することから全ては始まるんじゃないのかな。

だから制限が悪者でもない、と思う。


大切なのは、自分が今何を感じ、どうしたいか、

に尽きるんじゃないかなと思う今日この頃。